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5月の社中展に向けて数少ないお弟子さんたちが今、作品作りに頑張っている。 私も、もうかなり追い込まれてきたが、スタートダッシュのピストルを鳴らしてくれる人がいないのでなかなか立ち上がれない。それは自分でしかないことはよく知っている。 展覧会など、作品ができたらやると言うのはよほどの努力家か、意志の強い人か、かなり自身過剰でないとできないだろうと、私は思っている。人間は追い込まれたときに、陣痛を伴って作品を生み出すものだ。追い込まれたときに信じがたい力が出て、思いもかけない世界が生まれて来るものだと、経験から感じている。お弟子さんにもそのことを話している。 みなそれぞれに、追い込まれることの苦しさ、思うように書けない苦しさを口にするが、心のどこかにまんざらでもないものも感じているようである。そんなことを一生繰り返すしかないのだと、一生終わりはないのだと、一生勉強なのだと話した。静かなため息が聞こえたような気もした。作品を作る生みの苦しみ、そして生まれた後の充足。どこで諦めてしまうか、どこまであきらめないで自分と向い合えるか、自分との戦い以外に喜びを手にする方法はない。 明後日に控えた公民館祭りの作品を描くのは、今日がリミットだった。 テーマは頭の中にできていた。描き始めれば体が限界に来るまで描き続ける。ふと、時計を見上げて、筆をおいた。何とか満足のいくものが描けた。静かな喜びが沸き、小さな生みの苦しみを通り過ぎた喜びを感じている。 このごろは、作品ができない!描けない!と叫んでも、誰も何にも気に留めてくれなくなってしまった。つまり私は、追い込まれないと作品を描かないし、描けないということが周知の事実になってしまったからだ。ひとりで孤独に自分と戦いしかないだろう。 しかし、追い込まれたときに結構面白いものができることの楽しさに、密かにはまっている節もある。 |
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