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心を打つ言葉、心に残って消えない名言、人生はそういう言葉に支えられ、元気付けられて生きられることが多い。自分を信じる力や、諦めない強さ、前向きになる勇気は言葉の力で沸いてくるものだ。 有名な人が話している言葉に、うなずく場合もあるが、なんだか薄っぺらい言葉だなと思うときもある。 ベストセラーと言われる作家の言葉が、ひとつも胸に響かなかったのはなぜだだろう。人間は知名度が高いことをひとつの基準にしやすいから、そこにスポットが当たるのだ。 言葉ばかりが遊んでいる気がしてならなかったのは、彼の知名度が先行していたせいかも知れないと思う。 そんな言葉とっくに聞き飽きた。そんな考え方、苦労人なら誰だって知ってるしやってるますよ!と、言いたくなったくらいだ。しかし世間は、知名度や、社会的地位を尺度にして人の言葉に安易に共鳴しやすい。目に見える基準があるから安心だからだ。自分で選択する目がないから人の目に頼る。 無名なある人が何かの拍子に世に出ると、世間は猫も杓子もそちらになびいて、浅ましいほど自主性のない姿勢に転身する。あきれるくらいだ。世の中には静かに潜行した暮らしをしている素晴らしい人が一杯いる。 世に出る気持ちなど毛頭ない人たちの言葉は無垢で人の心に強く響き、消えないものだ。 人は世俗の欲望や、名誉に振り回されるものだ。社会的地位が一応が安定しているから、つい正しいと思うのだ。正しいかそうでないか、その言葉やその人の言動がどうかを見極めれば、その密度はすぐわかるのに、自分の目で選択する尺度をもたないから世間の尺度ですべてを見る。 よく見れば、身の回りに泥まみれになって働いているおじさんやあばさんたちの中にいくらでも宝石は隠されている。 実るほど・・・・・と言う格言のとおり、本物は金銭に疎い。本物は静かである。本物はカッコなどつけない自然体である。人はちやほやされると知らない間に自分を見失ってゆく。静かに身を隠して暮らすのがいい。 そういう暮らしの中からにじみ出た行動や何気ない言葉が名言と言うのだ。ウソッパチはすぐわかる。 魂の世界で通じ会う人たちは、清浄な空気が伝わりあい、魂がこだましあうのだ。そこにいるだけで、命が救われる。ところがそれは簡単には手に入らないのである。一歩一歩、血のにじむ苦労をしてようやく、「ああ〜つらかったでしょ」と言われる言葉の中にその重みが伝わる。 自分が痛い思いをしてみて始めて人の痛みに共感できるように、そのステップを一段一段積み重ねて人は強くなり、信念を持ち、確実に確かな判断力を身につけてゆくのだ。そうなれば人のことは気にならなくなる。自分が如何に生きるかと言うことだけが目標になる。 自ずと言葉はそこから湧き出るように浮かび、それを名言と言い、人の心に響くのだ。そういう人生でありたいと、日々自省の中にある。 |
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