NAMASTE

アクセスカウンタ

zoom RSS だめもと

<<   作成日時 : 2008/10/15 21:13   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 友人のインド人に頼まれたことがあった。
最後の仕上げに時間を要するので、先送りに溜めてしまっていたが、先日彼女に会ったとき、「細かいことはこちらでするから・・・・」と言われて気が楽になり、とは言うものの、ちょっと手を加えて下準備しておかなければ、分らないかも知れないと思った。
 夕べはかなり遅い時間までその作業をした。作業をしながら、ふと、「だめもと・・・・・」と言う言葉が頭をよぎった。まじめに考えすぎている自分が、いったい何なんだろう?と思えて手が止まった。でも、また気を取り直して、仕事を続け、自分の気がすむところまでは準備を終えた。
 インド人は時々、気軽にとんでもなく大変なことを言い出すところがある、と、私はしばしば思うことがあるのだ。
言ってみれば、「だめもと」で、言うだけ相手に言ってみようと、気軽に考えて言ってみるまでのことなのだと思う。
まじめに引き受けてしまったが、知らん顔してしまってもきっと彼女は文句も言わないだろうし、催促もしないかもしれないと、思った途端、ちょっと徒労感が自分の体を駆け抜けた。
 たとえば、かつて、子供の背負子を日本から持ってきて欲しいと私に頼んだ友人が居た。その時彼は、あとでお金は払いますと言った。私はそれをインドに持っていったが、彼はお金のことはまったく言い出さなかった。請求すればいいことだったが、彼の収入を考えると言い出せなかった。お土産として置いてきた。売ってなかったとでもいえば、事はそれで終わったかもしれないのにと、今なら思える。
 別のインド人が、娘の結婚にあたり、ダウリ(持参金)が足りないために結婚の話がストップしてとても困っている、どうか、お金を貸して欲しいと手紙が来たことがあった。亡くなった、長田先生に、その事をどうしたものか相談した時、「そうやって無心するんだよなあ!きりがないんだ」と言われが、それからポツリと「まあ、5万円ほど送ってやりなさいよ」と言われた。先生の慈悲心であったと思う。
 インド人の要求どおりになどとてもやっていられない。彼らは「だめ」を承知で言うだけ言ってみよう。頼むだけ伝えてみようと言う気持ちが働くようだ。真に受けてはいられない。「だめもと」なのだから、そのままそ知らぬ振りしてしまってもいいのだ。知らん顔して無視をした時は、後日、「手紙は着いたか?読んだか?」と、無視したことを確認するような質問をしてくる。かといって話はそこで終わって今までとなんら変わらぬ付き合いが続くのだが。
 以前、ムンバイで総領事をしていらした、賀来先生が、「インド人の無心は一切断りなさい。さもないと、当の本人だけではなく、親戚中が寄ってきますから」と、忠告を受けたことがある。とは言うものの、先生は、どんな領事もなさらぬような慈善をなさっていた。
 感覚の違う国民性をよくよく承知していないと、とんでもない感情問題になる。「だめもと」と言う感覚に、少し罪の意識を感じるのは、私一人だけだろうか。
 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
だめもと NAMASTE/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる